大事な補足。
昨日の自分の雑談に補足☆
(昨日の日記)
もしエラーイセンセイのお勧めや一流の演奏を「退屈」と感じても、それも間違いではないし。
道端で通りすがりのおじさんの鼻歌に惹かれても、子供の他愛ない替え歌に感動しても、間違いではない、ということ。
自分の心の動き、感動に、不正解はないのですよね。
「一見正解っぽい何か」に当てはまらない自分の感情を間違いだと思う必要はない。
と、最近強く思うのです。
と書きましたけどね。
感じたことを率直に受け止めることは間違いではないけれど、そこで思考を停止させると、ただの感想で終わるのですよね。できればそれを発展させたいもの。
では。
退屈だと感じたのは、どうしてだったんだろう…。
どうだったら楽しかったのだろう…。
あるいは。
なぜ心が動いてしまったのだろう…。
何が自分の心に届いたのだろう…。
などなど、そこから色々考えを広げてみると、自分の好み等が少しずつあらわになります。
わかりやすいから心に届き、わかりにくくて退屈することもあります。
特に、誰にとっても初めて出会うものは「わかりにくい」可能性を含んでいますね。
2回、3回と会を追うごとに、わかってくることもあります。
難しかったことは、関連しそうなことを調べてみてもよいでしょう。
きっと次の機会の聴こえ方や感じ方が変わります。
音楽の本当の面白さ、楽しさを知るためには、借り物の言葉や借り物の音楽ではなく。
自分の感覚、心情等と、知識、教養、技術等、それぞれをバランスよく存在させ、自由に駆使できることが必要なのだなぁと思います。
2013-12-06 by
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