うまく言えませんが

結論から。

私は無事、私の家族も無事。家も無事。

水は日曜に、電気は今朝復旧しました。

あの瞬間。

きしむ壁と床、音を立てて消える電気、テーブルもイスも容赦なく揺れ、ぱらぱらと天井から何かがこぼれおちる会議室の奥で。

大げさでも何でもなく。一瞬本気で「死」を覚悟しました。

きっと皆さん、そうだったと思います。

でも、生きています。

連絡がつかなかった家族とも、日曜夜までには何とか連絡を取り合うことができました。

本当に、私達は幸運。

親と連絡がつかない間。

意外と冷静な自分に驚きました。

2004年春、両親の安否が怪しくなった時期があったのですが。

連絡がつかなくて、息ができないほど、顔が変わるほど泣いた自分。

あの時の弱い自分はもういないんだなぁ。

…なんて、公衆電話の行列で、焦りも何もしない自分を冷静に分析したりしてました。

地震の直後から、停電、断水。

携帯も電話もダメ。

ラジオを頼りに、情報を得ていました。

日曜日、新聞を少し読みました。

初めて、(少し)涙が出ました。

電気が復旧した今でもニュースは見れません。

政治家のとんちんかんな様子にはあきれるし。

地元福島県の原発事故は最悪だし。

何よりテレビ越しに見える、東北の映像は、現実で、あまりにも身近なのです。

合唱団、お世話になっている人、少しずつですが、皆さんの無事が確認できています。

心配してメッセージをくださったたくさんの方々に、この場を借りてお礼申し上げます。

Facebookで、留学先で一緒だった友人たちからもたくさんのメッセージをいただきました。

世界中から。

皆、日本を案じています。そして、早い復興を願っています。

一人ではないということが、なんと心強いことか。

本当にうまく言えませんが。

まだまだ辛抱の時が続きますが。

まだ救助を待つ人たち、避難所で苦しい生活をされている方々がいます。

不便とは言え、自宅で生活できる私が、より大変な思いをしている人たちに出来ることが何なのか。

少しでも、力になれることがあれば、と思う今です。

これをご覧になっている皆さんも、どうか気持ちを強く持って。

生きていること、支えてくださる人がいることに心から感謝して、お互いにがんばっていきましょう。

私自身、皆さんとまた笑顔で会えることを、そしてまた一緒に声を合わせて歌える日を思い描いて、がんばっていきたいと思います。

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コメント2件

  • チャイ より:

    SECRET: 0

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    私が子供時代を過ごした岩手の山田町、田老町、大船渡…、そして、県内の多賀城…。ことごとく…です。歌津、市内荒浜の友人とも連絡は取れず。

    今後も、我が家は、海にも川にも近いので、しばらく、ドキドキの日々が続きますが、きっとまた、先生と皆様の演奏が聴けることを楽しみに 乗り切りたいと思います。

    暖房も無い中、身体が冷える時には 自宅なのを幸いに歌ってしのぎました♪

  • やぎ より:

    SECRET: 0

    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456

    >チャイさん

    そうですか。連絡の取れない方がいらっしゃるのは心配ですね。

    できるだけ早く連絡がとれますように。

    なかなか地震も収まりませんし、先も見通せない毎日ですが、

    そういう時こそ「唇に歌」なのかもしれません。

    私も今日は、久々にピアノを弾き、昔習ったフランスの歌曲を少し歌いました。

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