楽譜整理
我が家は(犬も含めて)小心者揃いなので。
地震に対し、家具類はコマコマと対策をしていました。
その甲斐あってか、あんな大きな揺れでも食器はひとつも割れず。
数か所の小さい被害でとどまりました。
我が家で一番危険と思われていた防音室も。
机はめちゃくちゃでしたが。
一番やばそうだった、合唱専用の楽譜棚が倒れず、扉も開かず。
横着して横にして積んでいた楽譜だけが、棚の中で崩れていました。
各種辞書や書籍、声楽やピアノの楽譜類は別の棚でこれまたほぼ無事。
CDラックも平行移動はしていたものの…。
しまいきれずに上に積んでいたCDケースなどが2個落ちたくらい。。。
本当にラッキー…。
昨日は、楽譜棚の陰を通していた電源コード類を安全のために外すことにし。
楽譜を一度すべて取り出しました。ついでに長年懸案事項だった楽譜の整理開始。
女声合唱歴が長いので、半分以上が女声(同声)合唱の楽譜。
混声もこの数年で増えてきましたが、混声3部が多いので、ゆくゆくは混声4部の楽譜も増えていくでしょう。
それにしても、男声の楽譜の少ないこと。。。
ガンバローネ、男声。
海外から取り寄せた楽譜は作曲家の頭文字、アルファベット順でファイルに整理していたつもりだったのですが。
RとWが同じファイルで、Vだけ独立していたり…と不思議な分類。。。
私、「U」以降があいまいなんですね。。。
クリアファイルの買い置きもないし、めんどくさいのでそのまま。。。
そんな適当な整理の中で。古い資料を発見。
左側、今は亡き高校時代の先生が合唱団員向けに作成した資料。
右側、新聞の切り抜き。
ここでも何度か書いたかしら。
高校3年生の時、音楽部の顧問がガンで亡くなりました。
最後の演奏会を指揮した先生の姿は、心に刻まれて消えません。
亡くなったことより、音楽にすべてをささげた生きざまの方が。
亡くなったのは演奏会の数日後。先生は39歳でした。
今の私は、私が先生と出会った時の先生と同じ年。(あ、年がばれる)
まだまだ、先生には追いつけていません。
右側は。指揮者、朝比奈隆さん(1908年 – 2001年)のエッセイ。
これから読み返そうと思いますが、これを集めていたころの自分(大学を卒業してからの2年間)を思い出しました。
合唱をちゃんとやるには「勉強が必要」と言われ続けていたころです。
「どんな勉強をすればいいの?」という疑問がうずまく毎日。
人でも本でも、何でもいいから「師」を求めていました。
さらに、超貧乏なアルバイト生活(笑)。
一度は就職できたものの…挫折したんですね。
親に大激怒され、もちろん、支援はゼロ。
友人とルームシェアしながら、カツカツの生活してました。
ワタクシ、後に国家公務員になるのですが、その試験勉強の教材が買えなくて、先に合格した友人のお下がり教材で勉強したんですよ。
おそらくこの切り抜きも、アルバイト先でいただいたか、知り合いからいただいたものでしょう。
今回発見したものには、他にもたくさんの資料のコピーがありました。
アルバイトしていたのが母校の大学だったので、お昼休みや仕事の後など、時間を見つけては図書館に行って資料を読みあさり、合唱の勉強をしていましたね、そう言えば。
がんばってたなぁ、自分。
お金はなかったけど、思いつく限りを精いっぱい、がむしゃらにやってました。
そして人生を楽しんでいたように思います。
あのころを思えば、今はなんて恵まれた環境にいるんでしょうね。。。
あの頃の気持ち、忘れないようにしなければね。
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