歌を歌う先に
自戒の念を込めて書くのです。。。
音楽は喜び~☆なのは間違いないのですが。
一生懸命歌う先に、私たちは何を見ているのでしょう?
なぜ、お風呂場で鼻歌~♪ではなく、外に出てレッスンを受けるのでしょう?
なぜ、ソロの練習ではなく、アンサンブルの練習をするのでしょう?
なぜ、楽器ではなく、歌なのでしょう?
なぜ、声楽ではなく、合唱なのでしょう?
なぜ、なぜ???
はてな?
私の場合、合唱が好きだから、なのですが(笑)。
↑
含蓄のある理由じゃなくてスミマセン。
じゃ、なぜ好きなのでしょう。。。
一人で鼻歌~♪より、断然面白いのは、
自分の体を鍛えて、よい楽器にして、音楽を奏でることができるから。
できる…というのは、あくまでも目標ですがね(笑)。そうありたい。
声だけじゃなくて、耳も鍛えて、アンサンブルを体感できるようになるから。
(そうなりたい)。
楽器もちょこちょこかじりましたが。
夢中になれるほど真剣にやれませんでした。。。
(ゴメンナサイ)。
(ピアノは今でも必修です。。。)
言葉があることが私にはやっぱり楽しい。
テキストの意味を掘り下げ、歴史を知り、音と言葉の深~い関係を知る。
扱う言語もそうですが、背景にある宗教や生活習慣を知ることもとっても大事。
皆と集まって、声を重ねる楽しさは、一人鼻歌の比ではありませんね。
一人じゃ出せない音の厚み~♪
掛け合いも楽しい。
それぞれが言葉を美しく歌えても、ただ音を重ねるだけでは、美しいハーモニーにはならなくて。
同時に鳴り響くそれぞれの音の役割と力加減を考え、色合いやスピード、方向など、複数の要素を絡めて重ねていく。
一曲の中でそれぞれの役割や立ち位置が目まぐるしく変化していく。
子音、母音、ほんのちょっとの違いで、音色が変わり、意味合いが変わる。
見える世界が変わるのです。
ベストな色を見出すまでの、試行錯誤の時間も楽しい。
合唱音楽はとっても知的な遊びでもあるわけです。
日々の鍛錬は苦行ではなく、いつか輝くための、大切な準備☆
私にとっての合唱の魅力は(毎度のことながら)語りつくせません。
ですが。
それらの魅力に対して私たちが日々努力していることが、本当に「いい音楽」であるかは。
私たちが判断すべきことではなくて。
やはり、第三者に聴いてもらって初めて、見えてくることだと思うのですよね。
どんなに言葉を練習したって、一人で流ちょうに話せたって。
人様に通じなければ、まったく意味がない。
同様に。
どんなに自分が美しいと思う旋律も、人様の耳に美しく響かなければ…。
どんなに正しいと思うことも、人様が理解できれなければ…。
どんなに自分たちが楽しくたって、人様が楽しいと思わなければ…。
どんなに思い入れがあったって、人様の心に届かなければ…。
お風呂場で鼻歌、カラオケボックスで一人カラオケ、と何も変わらないのです。。
皆で集まって、時間と労力、お金をかけて。
お風呂場で合唱、カラオケボックスで合唱、という成果ではもったいないですよねぇ。。。
歌の奥にある、込められた想いなり、封じ込められた心象風景なりを読みとり、表現する。
歌う側、聴く側、両方の視点で、伝えたいもの、表現したいものと、表現方法を考える。
音楽から生まれた心の震えを冷静に表現して、相手の心が震えるよう。
自分の声で歌い、耳で聴き、仲間と心を込めて表現し、全身全霊でお客様の反応を感じ取り、次に生かしていく。
伝えることではなく、伝わることが目標になるように。
それらを追究することが「喜び」になって初めて、聴く人の心の動きが自分の喜びになって初めて、「音楽する人」になるのではないかな、と思うわけです。
音楽を深く愛し、音楽をするのには、プロとかアマとかの違いはないですよね。。。
何はさておき、音楽する人になりたいな、と思います。
音楽を愛し、奏でる人たちだけでなく聴いてくださる方々のことも考えながら、沢山の人と音楽の喜びを共有したいのです。
…なんてことを、言葉で表現するのはやはり非常に難しく。
長々と書いた割に、薄っぺらになってしまいました…。
音楽で実行が、理想ですネ!
合唱音楽の喜び探求の旅へGO!GO!です。
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