オケコース日記 その5
7月17日(日)-言葉を越えるもの(ちょっとよくない意味で)-
9時半のレッスン開始に備えて。
6時には起床し、身支度を整え、改めて勉強をする、というスタイルになりました。
もちろんモツレクもですが、やっぱりCredo。
先生の楽譜を写したものの。ヒントはやはり、書き込みではなく、楽譜そのものにあります。
この日から、先生が交代し、ピーター・ブロードベント先生。
ドキドキしてレッスン会場に行くと、「Mika あなた、Credoやるでしょ。最初にレッスンしよう」と先生。
皆がきょとんとしている中、レッスンを受けました。
楽譜に記載のないテンポ変化が、本当はあるのではないか?という指摘。
(「きっと出版社が書き忘れたんだよ」というピーター先生の表現、LOVE)
あとは、基本的にOKをいただきました。
で。
「休憩の後、合唱団の方に行きなさい」
と指示され、何がなんだかわからないまま、合唱団の練習会場へ。
すると、チャバ・キシュ先生が、待ってましたとばかりに、私を皆の前へ。
「じゃ、どうぞ」
くらいのノリで、合唱団の前に放り出されたヤギ。
そう。まさに放牧。放し飼い…。
「チャバ先生が助けてくれるから」とアンドラーシュ先生は言ってましたが。
実際には、チャバ先生からは指導やアドバイスは一切なく(その時は)、私が英語で出した指示をハンガリー語に訳してくださる、というものでした。
「そういうことかい」と少々焦りながらも、とりあえず、おおざっぱなりに曲を作っていきました。
「Credo」は、ミサの中でも「信仰告白」というとても大切な部分です。
書かれたことを音にするのは当然のこと。
言葉と音楽に凝縮された、壮大なドラマ、心のうち、パッションを、感じられるか、が私にとって、一つの大きな課題でした。
「どう振るか」ではなく「音楽をどう感じるか」。
感じることができれば、おのずと、曲の組み立て方も、指揮もみえてくるはず。
楽譜の「音」やハーモニーはもちろん。
言葉、アクセント、抑揚、宗教的意義。。。
たくさん調べて、準備していったつもりでも、まだみえない(感じられない)何かがあって。
課題はやっぱり山積み。
その一方。
オケの指揮と、合唱の指揮は(私にとっては)やっぱり違います。
オケの前では緊張して借りてきたヤギなんですが。
合唱団の前に出ると、なんだか水を得たヤギ。
皆のリアクションが大変よくて~。
私の持つ曲のイメージや、音の運び方、表情のつけかた等々、目をキラキラさせて、聞き入り。
そして、それを一生懸命表現しようとしてくれます。
練習が段々、楽しくなっちゃって(私が)。
時間を忘れて過ごしました。
で。ひと段落して、先生の指導を待つと。
「いつでもおいで。いつでも、どのくらいでも。あなたが望むように合唱のリハーサルをしなさい」
で、終了。。。
なんじゃ、こりゃ…。
「?????」満載のまま、指揮レッスン会場へ戻ると。。。
「練習はうまく行ったかい?」とアンドラーシュ先生やピーター先生から声をかけられ。。。
海外は「個人を尊重」みたいなところがありますが。
今回のようなパターンで、(理由もわからないまま)一人だけ違うことをする、というのは、やっぱり、よく思われないんですよねぇ。
同じグループの受講生たちの雰囲気が変わっていました。
合唱指揮者の集まりですから、合唱団とリハーサルができるのはきっと魅力的なことだと思います。
(現に私は戸惑いながらも、嬉しかったし。。。)
他の人のレッスンから学べることも多いのに、別会場に行ってしまえば、それもできません。
受講生の中で、明らかに不満に思っている人たちがいて。
フランス語で、何やらぶーぶーいっているのがわかりました。
悪口らしきものもね。
言葉はわからなくても、雰囲気で伝わるものなんですよ。。。
気にしないようにしようと思いつつも、少々凹みました。
「次回はカタコトでもフランス語をわかるようになって、目の前で文句を言わせないようにしてやる」なんて思ったり。
(語学習得のモチベーションとしては、いかがでしょう…笑)
不穏な空気の漂う中、「向き合うべきは音楽」と、思いなおし。
「だって、決めたのは私じゃないも~ん」と、開き直り。
「孤独になることをこわがっていたら、あんた、これから先、何にもできないヨ。」
という音楽の神様の言葉にうなずき。
さらに。
任されたことには意味があった、と、皆に納得してもらえるよう、説得力のある音楽を作りたい、と強く思ったのでした。
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