刹那…
合唱活動、合唱指導は、広い視野、長期の展望が大事ですが。
同時に、練習の一瞬一瞬を大事に、その瞬間にできる最高の音楽を志さなければとも思います。
なぜなら。
例えば。
学生はいずれ卒業していくし。
転勤族の方は異動していく。
家族の事情やご本人の体調など、ご本人の意図や熱意とは関係なく、ある日、その団での音楽を離れなければならない日が来ることがあります。
合唱団は常にそこにあっても。
団員は半永久的にそこにいる訳ではないのです。
(指導者もしかりです。)
ついつい、指導する側の都合(理想)で、合唱指導の在り方を考えてしまいますが。
何らかの事情で、今日のこの練習で、もし、団を去らなければいけない人がいるとすれば、本当にその練習、その音楽空間でいいのでしょうか。
同じメンバーでいつも歌っていられるわけじゃない。
集まったメンバーで出来うる最高の合唱を毎回の練習で目指すべきでは?
…とかなんとか改めて思う次第。
毎回必死で完成度高く曲を仕上げるという意味ではなく。
毎回半端でもとりあえず曲をなんとなく仕上げるという意味でもなく。
メロディや言葉で心が動いたとか、ハーモニーの美しさを体感したとか。
少しでも音楽の深淵に触れた気がするとか…音楽的な部分や成長を体感できるのはもちろんのこと。
声出してすっきりしたとか。沢山笑ったとか。おやつがおいしかったとか。
仲間が優しかったとか。
何でもいいから、プチ達成感やプチ感動をお土産に帰路についてほしい。
合唱音楽活動を通じて得られる宝物は、技術の向上や知的好奇心を満たすことだけじゃありません。
合唱好きな仲間と共に過ごす喜びを共有することだって、素敵な合唱活動の一つだと思います。
合唱指導者の役割の一つは、音楽する喜びと生きている喜びの種を上手に混ぜ合わせて、音楽的な練習を毎回提供することでもあるように思います。人の営みの上に成り立つ「音楽の息吹」を体感、共有できるような。
そういう嬉しくておいしい粒を重ねて本番までいって、本番でお客様と共有なんかできちゃったら、なんだか、ものすごく密度の濃い、喜びにあふれた充実の合唱活動ではありませんか?
私は、そういう指導者を目指したいし。
そういう活動を重ねたいな、と改めて思いました。
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