その技術は何のために?

語学を学んでいて思うのです。

文法や熟語・単語を必死で覚えても、沢山発音練習しても、伝えたいもの、理解したい人やものがなければ、なんだかとっても空虚。

ワタクシ、英語が大嫌いだったのですが、約10年前、ハンガリーの合唱関係の方々とお知り合いになる機会があって、自分の言葉で「あなたの音楽が好き!」を伝えたい、というのが発端で勉強を始めました(でもハンガリー語ではなかった…謎)。

さらに留学が決まって、切羽詰まって勉強したものの、「不定冠詞」「定冠詞」だの「進行形」「完了形」だの、用語に翻弄される私(苦笑)。TOEFLのスコアをあげることが目標で本当にむなしかった…。

ある日「気持ちを伝える」というコンセプトの教育番組を見てちょびっと理解ができ、実際に人と話すようになってやっとわかったのでした(笑)。

沢山の語彙やそれを組み立てる文法は、言葉や文章を通じて相手が何を伝えようとしているのかを理解できるために、また私自身が誰かに伝えたいこと理解してほしいことがあって初めて生きてくるのでしょうね。

言葉も「記憶」で、日ごろは引き出しに入っています。

場面場面で、その引き出しを瞬時に開けて組み合わせてしゃべるのだと思います。

気持ちに合うものを選んで。

知識も技量も頭や体に取り入れただけではダメで、それらに「命」を吹き込めるかどうかは、自分次第。

歌もそうだと思うのです(これが言いたかった☆)。

美しい声も正しいイントネーションも緻密なアンサンブルも、そこがゴールではない、ということ。

音楽にある世界や魂を理解するために、私たちは楽譜にある記号用語を学び、言葉を学ぶのだと思います。

私たちは楽譜の中に押し込められた心象風景、世界、魂を、美しく歌うことで表現していくのです。

沢山の想いが込められた紙の上の黒い粒粒や文字が、声になって音になって言葉になって、「再び」命を得て、聴く人の心の中に広がっていく!!!

なんだかすごくないですかーーーー?

技術、知識、感情。。。

ともすれば、いずれか一つだけに意識が行きがちですが。

詩を読んで理解すること。

字面だけじゃなくてもっと突っ込んで、書かれた時代や背景も探ってみる。

「自分の言葉で」表現してみること。自分の感情が動くまで。

読譜や発声の技術を磨いていくこと。

などなど。

を、組合せ、歌に込めて、声で解放していく訳ですね。

皆で一緒に。

やりがいありますね~♪

知的好奇心への刺激も満載☆

合唱ってやっぱり奥ぶかーい♪

やはり心技一体となって初めて、伝わるものになるのだと思います。

そんな音楽を目指したいものです。

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