心…

日記、書いては消し、書いては消し、を繰り返しております。

しばらく会えていない合唱団や関係者の皆さまを想う時間は長いですが、いざとなると何を言葉にしたらよいやら。。。

まずは日常の些細なことを自分なりの工夫でやりくりし、少しでも、今もなお大変苦しい時を過ごしている被災者の方々への助けになればと願っています。

今回被災して感じたことは、苦しい時に人に寄り添うのは人の心だ、ということ。

大きな地震、ライフラインが絶たれ、直後にとどめの雪。。。

あっという間に白くなる窓の外を見ながら、私が恐れたのは、きっと、地震でも寒さでも、ご飯が食べれないことでも、明日への不安でも何でもなく、孤独だったように思います。

同じ被災者であるはずのパーソナリティが気丈に話し続ける「ラジオ」にどれだけ救われたでしょう。

揺れが起こるたびに「今、スタジオが揺れています」という声を聴き「そうだよねー。揺れてるよねー」と共感しまくっていました。

地震当日、自治会の方が、一軒一軒町内を回って、声をかけてくださったり。

疎遠だった友人がメールで安否を確認してくれたり。

ご近所の方(普段会話もなかった方)が携帯の充電やうちで止まってしまった電気の確認を申し出てくださったり。。。

「(暖房使えなくて)寒いなら、家においで」と言ってくださったお隣さん。

「厳しくなったら避難しておいで」と言ってくれた関東の友。

その他大勢の方の、励ましとか、申し出とかに救われました。

生きていく上で、モノももちろん必要です。

でも、困っている人を思いやる気持ちに触れることが何より嬉しい。

私は実家が福島県中通りの田舎町で、両親がおります。

二人で農業を、さらに母はヘルパーとして地域の寝たきりの方のお世話をしてまわっています。

地震では、家族親戚中で、仙台に住む私がとても心配をかけ。。。

それに続くガソリン不足や物資の不足。

身動きとれない高齢者や、生き物を相手にする仕事ですから本当に大変と思います。

さらに、原発事故の影響。

同じ福島でも、もっと被害が大きくて、苦労されている地域もありますが。

やはり一番身近な両親のことを想うと、なかなか苦しいです。

ぎりぎり屋内退避圏ではありません。

…幸か不幸か。です。

「命をかけて食い止めようとしている人がいるから、それを信じて待つほかない」

と父は言い、両親とも働きながら今も町にいます。

「どうしてもと言うときは仙台に」

と伝え、後は、両親の考えに任せています。

私ねー。

今回の原発の事故が起こるまで、福島県にある原発のことに無知で無関心だったのです。

それがどこに向けて電力を供給している発電所なのかも、今回知ったくらい。

本当に恥ずかしい。。。

今からでも、少しでも、故郷をちゃんと見つめたい、と思います。

今、各方面で命をかけて頑張っている皆様に敬意を。

種々の形で心を寄せてくださる皆様に感謝を。

そして私も精いっぱいの想いを皆様に。

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