楽器と私。
油酔いからさめたヤギです。ぐ~てんもるげん。
昨夜の雑感は、本当に支離滅裂(笑)。
要は、本当に上質な音楽をされる方って、どんな小さな曲にもちゃんと魂を宿しているから、すごいわね~って話でした。
(要約できてるのか?)
私もそういうところを目指したいのです。
ところで。
私のメイン楽器は声です。とにかく歌が大好き。(でも最近、カラオケは苦手デス。)
一時期は、世の中で最も素晴らしい楽器は人の声!と断言する勢いでした。
最近は、ちょっと違います。
あれもこれも素晴しい。と、すっかり多情になりました(笑)。
よーくよく考えてみると。
歌以外の事も、ちょびちょびやってきたのですよね。
幼少期、実家にあったクラシックレコードの中で、バッハ「小フーガト短調」にハマって、
音楽教科書に数小節の譜面を発見すると、そこだけを、Gが出なくなってしまった古い電子オルガンで、ひたすら弾いてました。
今思うと、出なかったの、曲の主音なんですけどね(笑)。
当時はまったく気にせず、ない音は脳内で鳴らして、楽しんでいたんですね。
子どもって素晴らしい(笑)。
中学で、合唱部に入ると、「ピアノ様」が私のちいさな世界に強烈な存在感で現れました。
周囲に習っている人も多くて、憧れ、見よう見まねで、家の壊れたオルガンを弾いたものです。
ピアノを習いたいと親に申し出たものの、あっさり却下。
でも、歌に夢中だったので、「絶対やりたいの~~~」とダダをこねる程ではなかったんですね。
高校時代は、音楽部に管弦楽団があって、オケを身近に感じられる環境でした。
1~2年は、選択授業(美術、書道、音楽)でクラス分けされていたので、
友達も音楽に関わっている人が多かったように思います。
クラリネットを人から借りて「ぷひ~」と鳴らした経験もあります(笑)。
「オケ伴でミュージカル」が定演第3ステージの定番。贅沢☆
合唱部では、2年生になると必ず、練習を進行しなければならなくて、「ピアノを弾く」という試練が…。
これも壊れたオルガンで練習したんでしょうね。記憶にないですけどネ。
進学校でしたけど。
授業中は寝るか、読書(マンガ)か、音楽室に逃亡して歌ってましたから、成績がよかったのは音楽だけで(笑)。
高校3年生になってみると、進路は暗闇しかみえず。
「そんなに音楽が好きなら、思い切って音楽の道に進んだら」と天の声が一瞬聞こえたものの、これまた家庭内で(その場で)あっさり却下。本人は何も考えず。その瞬間が楽しければよかった時代(笑)。(あ。今と同じだ)
一年間の蛹時代を経て。
大学生になると、私の合唱世界に、生のパイプオルガンが登場します。
年に何度か、パイプオルガンと一緒に歌う機会がありました。
弦楽も入ったことがありますね。
礼拝堂で大きな宗教音楽を演奏することも多く、またプロの方々との共演もあり、素晴らしい環境でした。
実家を離れたこともあって、壊れたオルガンは卒業。
自分でキーボードを買って、ヨチヨチ練習してました。
学指揮になると、他の人のように鍵盤で流麗に弾けないから、声で表現しようと、必死に歌を練習しました。
全部のパートを覚え、歌えるようにしたのですよね。すごい執念(笑)。
そのことが、将来私を大いに助けてくれます。
大学2年時、学生指揮者として合唱&ハープの曲を取り上げさせていただいたことがあります。
そういえば、団内での選曲時、周囲から猛烈な反対を受けましたっけネ。
反対する方々は、OGの方まで応援に呼び出して、盛大な反対運動でした。
理由は「副指揮だから」。
でも、客演指揮の先生の所に選曲会議に伺うと、先生はあっさりOK。
それどころか、その場で、お知り合いのプロのハーピストをご紹介くださって。
ピアノの予定が事態は大好転。あれはいろんな意味でありがたい素晴らしい体験でした。
楽器ではないですけど。
大学4年生の頃は、ピアニストの先生の「譜めくり」体験も多々。
譜めくり機会の大半は、コンクールでして。
しかもやっていたのが三善晃先生の変拍子満載の曲で。
「うなずいたらめくってね♡」なんて悠長な雰囲気ではなく。難関。。。
楽譜と録音を入手して、拍とリズムを軸に必死に覚えて譜めくりしたのでした。
その団がめでたく勝ち進んだので、譜めくりのために、四国、香川県まで行きましたよ。
人生初飛行機は、自然の摂理(重いものは落ちる…)が怖かったけど、うどんがおいしかった。
と話が逸れたところで。
長くなったので、一旦ここで終了。
気が向いたら続きを書くと思います(笑)。
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